説教塾

ボーレンの葬りのための礼拝から:クリスティアン・メラー /  略歴 /  偲ぶ言葉: ヴァルター・アイジンガールードルフ・ランダウユルゲン・ケーグラー山田晃美 /  書籍

ルードルフ・ボーレン教授を偲ぶ言葉

   
鳴尾キリスト福音教会
山田晃美


 「ルードルフ・ボーレンと共に生きることを許されることは素晴らしいことです」。ボーレン先生のそばで学び働いてこられたひとりのランダウ牧師は、そのように語っておられます。
 私がボーレン先生と過ごした時間は本当にわずかです。ですからランダウ牧師が羨ましい。私がボーレン先生とお会いしたのは、2001年10月に来日した折で、これが最初で最後でした。キリスト品川教会で「私の強さ-途上にて」「説教の言葉」「共に説教する共同体」「解放の日を待ち望み、速める為に」という4つの講演を聴きました。その時の講演は『日本の友に』という素敵な題名の本に収録されています。この「日本の友」とは、本の訳者であり、ボーレン先生と親しい交流があった加藤常昭先生のことと思われますが、しかし、初めてお会いした通りすがりのような私にも、これらの言葉は「友」として親しく語りかけられる励ましの言葉として届きました。
 思えば、伝道者になってから三年ほどが過ぎた頃でした。神学校を卒業して教会に派遣された頃の意気込みと人間的な力は陰りを見せ始め、誰にも打ち明けることのできない伝道者特有の孤独感に苛まれるようになっていました。「世界にとって異質な言葉を聴き取り、それを世界に向かって語る預言者というのは孤独なものではありませんか」。私の問いかけに対して、ボーレン先生の答えはとても明るいものでした。「預言者はひとりじゃない。仲間がいる。あんまり重く考えない方がいい」。この言葉以降、お金と時間を費やしてでも仲間を作ることを惜しんではならないと知り、心新たに説教塾で学ぶことを決心しました。確かに、この日の出会いこそが、私の伝道者生涯に光を与えたのです。ボーレン先生が書かれた様々な文書を読む道が開かれ、著作を通して、ボーレン先生が私の先生にもなって下さり、神学の同伴者になって下さいました。加えて、説教塾において、志を同じくする仲間たちとの数え切れぬほどの素晴らしい対話を重ねることが許されました。たった一度の出会いは、私の中で大きな光を放ちました。出会いは神の奇跡。友は神が与えて下さった宝であると思います。

 メラー先生が語られた葬儀説教を、私たちの教会の定例集会(聖書を読む会)で朗読させて頂きました。この小さな集会で私たちはここしばらく詩篇を読んでおり、ちょうど詩篇100篇に差し掛かっていました。必ず葬儀説教が届くはずと思い、翻訳が届くのを待っていました。教会員は、ボーレン先生の名前も、メラー先生の名前も知りません。しかし、読み終えた後に、一同は言葉にならない深い息をつきました。

詩編第100篇
全世界よ、主をほめたたえよ!
喜びをもって主に仕えよ!
喜びをもって主のみ前に出よう!
主こそ神であることをよく知ろう!
主が──私たちが、ではない──私たちを
ご自身の民としてくださり、その牧場の羊としてくださったのである
感謝しつつ、主の門に向かおう
賛美しつつ、その前庭に出よう!
主に感謝し、そのみ名を賛美しよう!
なぜならば、主は私たちに親しんでくださり
その恵みは永遠に変わらず
その真実はいつまでも揺るがないからである

 教会員はルーフドルフ・ボーレンという人物に初めて触れましたが、この葬儀説教を通して、詩編100編を自分の生涯の歌として生きる幸いを知りました。何の光も見えないような閉塞した場に置かれるときにこそこの歌を歌うという、信仰がもたらすの驚くべき明るさと力を知りました。それがため息-大きく息を吸い込み、またそれを吐き出して、楽になる-となって現れたのでした。
 旧約聖書の中に、預言者エリシャの骨にふれて男が息を吹き返したという、奇跡が記されています。現代に現れた預言者の骨に触れて息を吹き返す恵みがなお残されているのではないかと思い、ボーレン先生が残して下さった著作-『説教学』『天水桶の深みにて』-を、私はもう一度読み始めました。




ボーレンの葬りのための礼拝から:クリスティアン・メラー /  略歴 /  偲ぶ言葉: ヴァルター・アイジンガールードルフ・ランダウユルゲン・ケーグラー山田晃美 /  書籍