説教塾


書評

2009年12月

説教塾ブックレット8 『聖書の想像力と説教』並木浩一 著

      
評者 高多 新


 本書は、東京説教塾が、説教塾主宰の加藤常昭教師の八〇歳を記念して行った特別セミナー(総主題「これからの説教」)のうち、第一回の講演と討論を収録したものである。
 本講演のきっかけは、おそらく著者の『「ヨブ記」論集成』(教文館、二〇〇三年)であろう。加藤師は『文学としての説教』(日本キリスト教団出版局、二〇〇八年)の中で、この書物を取り上げ、著者がそこで論ずる「文学としてのヨブ記」との対話を試みている。ここでは割愛せざるを得ないが、そこでの一つの焦点は、ヨブ記のもつ文学性と想像力である。本書は、このような対話を踏まえて、「聖書の想像力」を改めて聖書全体から展開し、さらにそれをいかに説教において生かすかを問うた、発題的な講演録なのである。
 著者は周知のように、著名な旧約学者である。しかし、説教者ではない。国際基督教大学教会の信徒である。そこで、著者はこの講演の依頼を引き受けるべきかどうか、躊躇したという。自分にはその資格がない、と。著者のこの謙虚な姿勢は「質疑応答」の中でも随所に垣間見られる。この姿勢は、学ぼうとする姿勢と深く結びついている。「まえがき」にあるように、依頼の返事をする前に、カール・バルトや加藤師をはじめ、著名な説教に関するあらゆる書物を「山のごとく積み込んで」勉強し、その結果、説教学のあまりの面白さにのめり込んで、ついに依頼を受けることにしたのだという。本書の中身に入る前に、すでに多くの説教者はまずこの著者の謙虚に学ぶ姿勢に心打たれ、また同時に学問を心から喜びとする姿勢に教えられるであろう。
 さて、本書は二部構成になっていて、第1部では「聖書における想像力の位置と働きの概観」という主題で、旧約聖書の想像力について語られている。主題からは難解なイメージが与えられるが、決して難しくはなく、むしろ具体例を挙げながら論が展開されているので、いつのまにか聖書の想像力の豊かさの中に引きずり込まれてしまう。一例を挙げれば、主イエスの「からし種」の譬え話。それは見事なイメージの変容であり、それが主イエスの想像力におけるメタファーなのだ、という。さらに、イエスは、それによってデコーディング(コード外し)をしている。つまり、神の国は常識的な世界(エンコードされた世界)を破り出て、世界から除外されていた「空の鳥」(=異邦人)をも招き入れるものなのだということを、譬え話で語っている、というのである。
ところで、説教者にとっての恒常的な課題は、神の言葉のリアリティーをどのようにして聴き手に届けるか、ということであろう。まさに、その究極的な問いに対して本書は読者に答えを与えてくれている。それは、聖書と聴き手、また神の出来事とそれを表現する言葉とをつなぐ、「想像力」なのだ、ということである。そして、それが本書の主眼となっている。
 第2部では、まさにこの点が、アモスの預言(第1章)から語られている。アモスが預言した「幻」は、現実に起こった出来事を描いたものではなかった、その意味では「虚構」であるが、しかし、想像力が紡ぎ出す虚構によって、アモスは預言のリアリティーを民に伝え得たのだ、と語る。これは、説教においても同じことが言える。説教者は神の出来事の原事実(例えば復活)を言語化できないが、その出来事のリアリティーを想像力によって語ることができる。この点が、本書の急所であり、また「質疑応答」において物議を醸したところでもある。その討論によって、読者は本書で著者が言わんとしていることをさらに深く、確かに理解することができるので、これがつけられているのは大変ありがたい。
 最後に一言。本書を読んで、著者自身の説教を聴きたくなったのは、評者だけではないであろう。

(たかた・あらた=日本基督教団神戸神愛教会牧師)
『本のひろば』(二〇〇九年一二月号)掲載(本文一部改訂)




<説教塾ブックレット8> 聖書の想像力と説教

A5判/160頁/定価1575円
ISBN978-4-87395-551-3
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