読書会 2018年
2018年1月9日
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会場:日本基督教団 西国分寺教会
序文、第一章第一論文の前半の学び
進行:加藤常昭
資料 「1月読書会のために」
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はじめに
- 楽しい読書会にしたい。本来、何を読むにしても本を読むということは楽しいことである。時間を忘れる楽しさがある。
- 読書の楽しさのひとつは、知ることの楽しさである。知ることの楽しさは好奇心から生まれる。問いを持つことであり、その答えを得ることである。積極的に楽しさを求めることである。何が面白いのか、と傍観者にとどまるのではなく、これは面白いと面白さを見つけることである。そして驚くことである。哲学の始まりはタウマゾーにある。神学もまた同じである(バルト『福音主義神学入門』)。
- 読書の楽しさのひとつは、観察、発見の楽しさである。テオーリア・観想(theoria)の喜びが哲学の原動力であった。注意深く見ることである。好奇心、探究心を抱いて見つめることである。文字を読むのである。狩をするように。文字の意味を尋ねて問うことである。
- 読書の楽しみは著者に遇う楽しみである。われわれが読む文字は、著者の観察・考察・発見・思索の表現である。文字を通じて、われわれは著者に出会う。その存在・息吹に出会う。著者の経験をわれわれの経験と重ねる。同質のもの、異質のものを体験し、経験する。そこで求められるのは想像力である。想像の世界で著者に出会う。いのち、生きている者の出会いである。言い換えれば、読者は著者との出会いを通じて、自分の人生を生きるのである。こう言ってもいい。読者は著者の言葉を通じて、著者のいのちの経験を追体験(追経験)しつつ、自己の経験を重ねるのである。
- 読書の楽しさ、またその実りは、読者自身が変えられることである(上原専録、阿部謹也)。アイデンティティを保ちつつメタモルフォーゼ(変容)を経験する。そのことによって人間は成長する。変わることによって育つのである。
- 特に今回の読書会には、一つの特別な課題がある。説教塾の歴史30年を経て、新しい時代を迎えている。加藤時代が過ぎるのである。そこで全く新しい働きをするというのではない。説教塾のアイデンティティを確保しながら、新しい歩みをするのである。そのためには、これまでの説教塾の働きの軸になってきた加藤常昭の神学と方法を金科玉条とするのではないが、その中核にあるものを改めてよく理解し、正しい意味で継承する必要がある。そうでないと説教塾が説教塾でなくなるのである。そのために加藤がこれまでしてきたことをできるだけよく理解することが必要になる。そのための読書会である。そして同時に説教塾メンバー各自の学びのためである。この説教塾全体のことを意識しつつ、各自の学びをするのである。
読書会の方法
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まずテキストを朗読する。
担当者がコメントをする。読んだ内容の要約ではない。
自分が理解したことが何であるかを語る。テキストにアンダーラインを引くようなことである。
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読書会『説教論』2018年1月9日 音声 1 (mp3)
読書会『説教論』2018年1月9日 音声 2 (mp3)
読書会『説教論』2018年1月9日 音声 3 (mp3)
資料 1月読書会のために (docx)
音声、資料は
塾生ページ>共同研究シリーズ>読書会ページにあります
http://www.sekkyou.com/jp/membersite/03-15-00/

説教塾
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説教塾に参加するには
読書会 2010年
説教塾、有志による読書会が代田教会で続けられています。2009年までは、リチャード・A・リシャー著『説教の神学 --キリストのいのちを伝える』(平野克己訳、教文館、2004年)を読み進んできました。原題A Theology of Preaching: The Dynamics of the Gospel, (Eugene, Oregon: Wipf and Stock Publishers, 1992)。リシャー先生の神学的に濃密な文章を、訳者である平野克己先生が丁寧に解説し、そこに加藤常昭先生の指摘により主題が深められていきます。出席している説教塾の塾生たちが、それぞれの説教の現場において、どのように受け止め実践するかを語り合います。

その交わりの中で、誕生したのがPHコンビです。PHとは、この読書会に欠かせない存在のジム・ピーターソン先生(聖契神学校・説教学講師)の頭文字Pと、平野克己先生のHを合わせてPHコンビです(命名者は加藤先生です)。この二人が、2010年5月に米国テネシー州ナッシュヴィル市で開催された説教学フェスティバル(Festival of Homiletics)に出席し、その報告を2010年9月の東京説教塾例会で行なっています。その時に、ウィリアム・ウィリモンと、トマス・ロングのインタビューを行い、Ministry誌(キリスト新聞社)に掲載される予定です。
現在、読書会では、トマス・G・ロング著 The Witness of Preachingの翻訳を平野克己牧師が行い、その原稿をめぐって討論を重ねています。
<報告者:宮崎誉 2010年10月>
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東京説教塾
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