説教塾

ボーレンの葬りのための礼拝から:クリスティアン・メラー /  略歴 /  偲ぶ言葉: ヴァルター・アイジンガールードルフ・ランダウユルゲン・ケーグラー山田晃美 /  書籍

ルードルフ・ボーレン教授を偲ぶ言葉

 
エキュメニカル説教研究協会代表
ユルゲン・ケーグラー


 尊敬するボーレン夫人
 ご親戚の方たち
 会葬の皆さま

 「説教することを喜ぶためにも、そのことで苦しむためにも不可欠なこと、それはいつも学習者、初心者であり続けることである」。
 このルードルフ・ボーレン先生の言葉は、エキュメニカル説教研究協会のホームページの最初のページに記されております。その上には開かれた書物、開かれた聖書を象徴する書物のイメージが浮かんでおります。
 喜びと苦しみ、常に学び続けること、何度でも、どの聖書のテキストを開いても、改めて初心者として理解に努め、語ること、ここでルードルフ・ボーレン先生が、説教、そして説教することの限界とチャンスを描いている言葉は印象深いものであります。
 1987年、ボーレン先生はヴァルター・アイジンガー教授と共にハイデルベルク裁判所で、ご自身が創設したエキュメニカル説教研究協会設立の届けを出されました。そこでその目的とされたのは、教会のなかで、教会員と共に、いきいきと語られる語りかけの言葉として説教する道を更に熱心に開拓しようということでありました。語られる言葉としての説教の持つ大切な意味を知る意識を、牧師たちの間に、もう一度目覚めさせること、教会員との対話を深めることによって、説教が更にすぐれたものとなること、語られた説教の言葉が更に広く語り直されていくことを願ったのであります。そのための手段として、今日に至るまで小冊子が刊行されてまいりました。興味ある説教を改めて印刷し、それを論じる言葉を付しました。教会員の間でそれが読まれ、理解され、対話の対象となり、家で読まれるといいと思ったのであります。この小冊子「語り継がれる説教」は、のちに改称し、「対話における説教」となりました。説教が対話の対象となるべきことを強調したのであります。
 エキュメニカル説教研究協会設立によってルードルフ・ボーレン先生が目的としたことは、説教がいきいきと語られる言葉となり、読むに値する説教が増え、説教をめぐる対話が起こるように励ますことでしたが、それと並んで目的とされたのは、先生がハイデルベルクに設立した説教研究所を支え、その研究を促し、また専門家の研究会、シンポジウムを開催することでありました。
 その目的を果たすためにエキュメニカル説教研究協会委員会は、なお責任を果たさなければならないと痛感しております。その委員のひとりとして、私は今とても残念な思いを抱いていることを正直に言わなければなりません。私が今とてもこころを動かされていることは、先生の逝去後、この何日か、メンバーからのEメイルがいくつも届き、ルードルフ・ボーレン先生と共に、その90歳の誕生日を祝うことを楽しみにしていたのに、という言葉を読んだことであります。愛するご親戚の皆さんと共に、先生がもう私どもの間におられないことをとても悲しんでいるのです。
 私どもは今ルードルフ・ボーレン先生の生涯を尽くしての業績に感謝を言い表すために、次の雑誌で、ボーレン先生の説教を取り上げ、スイスの既に隠退している州教会議長ゲオルク・フィッシャーさんに、それについて書いていただこうと思っております。また今年の説教研究会の主題を「説教における神のみ名の聖さ」といたします。それによってルードルフ・ボーレン先生がいつもこころに抱き続けていた神学的主題を取り上げたいのです。またそれによって、いかなる説教行為においても見られるべき神学、その中心点に到達したいと思っております。このような仕方によってこそ、私どもの尊敬と感謝の思いを最善の仕方で示すことができると思っております。また私どもはクリスティアン・メラー教授が中心になって行われる3月22日の、ルードルフ・ボーレン90歳誕生記念シンポジウムを支援します。この教会堂の前室に、その招待状を用意しております。そこでは集中してルードルフ・ボーレン先生の業績、その感化をよく学びたいと思います。その日、先生自身が参加されることはもはやありませんが、先生を思い起こす、よすがとなってくださるでありましょう。
 「語り継がれる説教」刊行の最初の年の1冊として、聖霊降臨祭の季節にルードルフ・ボーレン先生の受苦日の説教が取り上げられました。十字架と聖霊、つまり聖霊降臨祭において受苦日を語るという、深い意味を持つ結びつきが語られたのであります。そこではローマの信徒への手紙第6章11節の講解がなされております。私はその一節をここで引用いたします。この引用の言葉のなかで、説教者であり、牧会者でもありましたボーレン先生が語り出しており、その先生ご自身の言葉をぜひもう一度聴いていただきたいのであります。「主が十字架につけられた日から、新しい心理学が生まれました。それは、隠されていたもの、魂のなかに秘められていた神との関わり、天的な意味を持つ無意識というべきものを明るみに出してくれる心理学であります。主が十字架で『成就した』と語られたことが生む心理学であります。『恵みの心理学……その前ではもはやわれわれが何らひるむ必要がなくなっている心理学』(カール・バルト)であります」。それがここでたったひとつの文章のなかに見出されているのであります。「このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい」。私どもは先生と共にこれを信じ、これを望みとするのであります。




ボーレンの葬りのための礼拝から:クリスティアン・メラー /  略歴 /  偲ぶ言葉: ヴァルター・アイジンガールードルフ・ランダウユルゲン・ケーグラー山田晃美 /  書籍