説教塾の皆さまに
今日の午後、読書会があります。説教塾の活動が始まります。各地の説教塾の例会案内も読むことができます。それぞれに実り豊かでありますように。
クリスマス、新年と多くの方たちのお便りをありがとうございました。まだ返信を書いております。受洗入会者が与えられたとの方向は何よりもうれしいことでした。私にかなり厳しい批判を受けた牧師から、昨年のクリスマス祝会の席上で、説教がよっくわかるようになったという教会員の発言があり、共感を呼んだという報告がありました。うれしそうでした。私もうれしくなりました。自分の説教がどのように変わりつつあるかという報告がいくつもありました。また、昨年、私が黙って聴いているだけではなく、それぞれに自分で発言してほしいという願いを述べたのに応じ、自分も発言したいと思うが、英語もろくに読めない力不足を自覚するので、発言をためらうのだが、というし私信をいただきました。少々胸が痛みました。確かにそういうことがあるでしょう。外国人との討論、しかも日本語では討論できない状況に置かれたときと似ています。しかし、思い切って発言すると、思ったよりも実りがあるものです。恥ずかしいと思うことも無理に押さえつけることはありません。ひそかな劣等感との戦いも避けられません。皆が体験していることです。しかし、黙って聴いているよりも、自分なりに発言することによって初めて学び得ることが多いのです。できれば勇気を出してほしいと願うばかりです。
北川さんの久しぶりの発言に続いて、森島 豊さんの力作がメイリングリストに登場して、とてもうれしく思います。私がどれだけむずむずしているか、おわかりでしょう。しかし、皆さんで、このおふたりの発言に対して発言してくださいl。ここでも思ったことをどんどん書くことが自分のためになります。討論の展開を楽しみにしております。北川さんは、このところ北川節を聴くことができずさびしいと私が私信を送ったことに応えてくださったのかもしれません。ありがとう。ただし、私は説教とは「キリスト教の情報」を伝えることだと考えたことはありません。そのようなことは本を読めば済むことです。森島さんは、私が昨年12月の東京説教塾例会における発言を批判したことに応えてくださってのことです。年末、学校の休みに一所懸命準備してくださったのでしょう。なるほど、と思いつつ読みました。
皆さん、お元気で! 力いっぱい、み言葉を語り続けてください。祝福を祈ります。

加藤常昭