[sekkyoujuku:013590] 2025年3月4日(火)読書会Bの報告 Subject: [sekkyoujuku:013590] 2025年3月4日(火)読書会Bの報告 From: 渡辺賢次 Date: 2025/03/04 21:01 To: sekkyoujuku@sekkyou.com 説教塾の皆様、須田毅先生(ホスト役、リード役) 毎日お世話様です。読書会B(『慰めとしての教会に生きる』) の報告を世話人の田村毅朗先生に代わって、短く記します。 本日は『慰めとしての教会に生きる』(加藤常昭箸) の 9 魂への配慮の共同体・教会 第二の問題提起 魂への配慮の対話はすでに説教において始まるのではないか および第三の問題提起 今、魂への配慮とは何をするのか (p196〜p203)を共に学びました。 魂への配慮の対話はすでに説教において始まるのではないか、については 説教が現在では講解説教におおむねなってきているが、平板になり形骸化している のでないかとの懸念が加藤先生の批判として挙げられていました。 これは、講解説教を主題説教的にするということが課題なのではないか と感じました。そのためには会衆をも黙想、釈義しつつ一本の線・趣旨でテキストを 捉える ことが大事ではないかと思いました。時には一部の聖句に集中する説教もいいかもし れません。 第三の問題提起では、今魂への配慮とは何をするのか。 Seelsorgeはふたりで向き合って行うのが基本であるが(トゥルンアイゼン) これを説教の中でも始め、洗礼、聖餐、鍵の権能によって行う(シュマルカルデン条 項「福音について」 1537年)。 戒規をいかに考えるべきかについても深い議論がなされた。 シュパラティンへのルターの手紙は「あなたは真実の、大いなる罪人であることに習 熟していただきたい」 との魂への配慮の手紙として挙げられている。 牧師の対話とカウンセリングの対話の両者の関係をいかに考え、いかに両者を生かす べきかは今後の課題である。 出席者:8名 始めの祈り:禰津省一先生 終わりの祈り:吉永直子先生 朗読者:?先生、郷家先生 以上、報告します。    3月4日 渡辺賢次 添付ファイル: winmail.dat 6.2 KB