[sekkyoujuku:011089] 読書会B 報告等 Subject: [sekkyoujuku:011089] 読書会B 報告等 From: 大橋 新 Date: 2022/09/20 23:01 To: sekkyoujuku@sekkyou.com 皆さま 浜北教会の大橋新です。 すでに録画がYouTubeにあがっていますが、先ほど、読書会B、バルト講演の学びを行いました。 参加者は25名ほどでした。 加藤先生が「訳者まえがき」の部分から丁寧に手引きをしてくださり、「キリスト教会の宣教の困窮と約束」の導入部を皆で読み、語り合いました。 次回は今回読んだところで提起されている問題をもう少し深く理解し、「二」から始まる本論に入りたいと思います。 10月18日(火)18時30分から行います。 引き続き、よろしくお願いします。 心に留まったことはいくつもありますが、その一つ、加藤先生が今、私たちに投げかけておられる問いに関連することを記します。 バルトはカントから批判することを学び、いつも「自分がやっていることがどうして成り立つか」を問うていた、というご発言がありました。 『ローマ書講解』は、いかに説教するか、ということでなく、いかにして説教することは可能であるか、その視点で読めば良い、という意味のバルトの言葉もあります。 加藤先生はメールで 「説教塾にいても、自分で自分を訓練することが基本です。ですから自己批判に習熟し、自己批判が日常化しないと歩めないのです。説教塾の学びは、その歩みを助けるものです。」 と記しておられます。 私は最初の「耳を貸してください」のメールを受けた時に、久しぶりに自分の説教を聴き直しました。そこで、うまく自己批判することができないでいる自分にも気が付きました(印象批判に留まっている、という点において)。 ただ、今後は、「どうして」「本当に」、というバルトの素朴な言葉、問いを念頭に、自分の説教を聴き直すことができるのではないか、と思った次第です。 このような単純なことではないかもしれませんが、応答というよりも、感想として。