[sekkyoujuku:010031] 読書会A�D報告 Subject: [sekkyoujuku:010031] 読書会A�D報告 From: Date: 2021/11/09 9:39 To: sekkyoujuku@sekkyou.com 加藤常昭先生、説教塾のみなさま 昨夜の読書会の報告を少し、詳細はこれから渡邉洋子先生から送られる録音でどうぞ。 私のメモでは、最大22名の方が参加して下さいました。 (何人かの先生からお休みするというお知らせ、ありがとうございます。) 楠原博之先生のリードで始まりました。 今回は再びシュニ―ヴィントのエピソードから始まりました。 10年前の学生説教塾の加藤先生の発言を交えながら、お話しくださいました。 「シュニ―ヴィントの不安を故意に見過ごしている」 ��この故意に見すごしている�≠ニいう謎めいた言葉の解き明かしをかと先生がしてくださいました。 牧師は、「神はいない」という不安を乗り越えたつもりでいる。 そうでなければ、職業としての牧師を続けるわけにはいかない。 「神の不在」で若い頃の様に悩まなくなった牧師は、 「ひとのいのちを救うために自分の命を賭けるような説教」はできない。 「われわれが、そうした不安を克服した時代に生きているように思っているからである。」 われわれは、克服したと思っているだけなのか…。 ノーベル文学賞を取った詩人ネリー・ザック、 「1Q84」の著者・村上春樹、 文学者は信仰の闘いをしない。 「神の不在」は扱っても、その不安を正面からは表さない。 奇跡を待つということ、自分を神に明け渡して、待つということが大事。 静かな読書会の雰囲気からは考えられない実際的な課題であった。 報告を書くためには、語られた一つ一つ、もう一度咀嚼する必要があるだろう。 ですから今日はこの辺で。 最後にボーレン先生の言葉。 「説教とは期待された行為なのである。そして説教のつとめに備える者は、  自分が期待されていることを、切に待たれていることを、承知すべきなのである。」 担当の楠原先生、Zoomホスト役の渡邉先生、ありがとうございます。 突然に最後の感想、お祈りを指名させていただいた渡辺賢次先生、ありがとうございます。                             読書会A 世話人 中井利洋