Subject: [sekkyoujuku:009977] 読書会A�C報告 From: Date: 2021/10/26 10:23 To: sekkyoujuku@sekkyou.com 加藤常昭先生 説教塾のみなさま 主の御名を讃えます。 昨夜18:30から21:00までZoomで行われた「読書会A」の報告をします。 本日は「説教の聴き手、説教の冒険」について、 ボーレン先生の「説教学」から読み取りました。 繰り返し、加藤先生からボーレン先生の書かれたことだけを読み取ろうというお勧めがありました。 楠原博行先生に進行、レジュメを担当していただき、 渡邊洋子先生にZoomのホスト役を担っていただきました。 後に渡邉先生から、録音がアップされると思います。 私のメモでは、最大21名の方の参加でした。 主に加藤先生のご発言を記します。 今夜はテキストで言えば26ページの中ほどから始まり、 「第一に、われわれはが聞くよりもむしろ語りたがるということは、  人間の虚栄心と愚かさとに当然つきまとうことである。  そうでなければヤコブの手紙の知恵の言葉は不必要になる。 ��人はすべて、聞くには早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである�� (ヤコブ1:19)というみ言葉から議論が始まりました。 加藤先生は、楠原先生によればかつての学生説教塾でもご発言されていたようですが、 日本の牧師は「教祖」になり損ねたという劣等感の思いがある、 ドイツの神学者の病気でもあるが、 (ドイツでは)学位論文を取るために神学の「オリジナルティ」が重んじられている、 伝統的な神学だけでは、学位を取ることはできない傾向がある。 それと同様に、日本の牧師は「教祖」になりたがっている。 それらの原因は、「虚栄心と愚かさである」と語っておられました。 ボーレン先生は、高校生の時にバルト神学と出会い、 そのときの説教聴聞で基本的に説教者に失望を味わっている、 ある先生は(自分が)神のごとく語っている。 加藤先生がドイツ在住の時、ボーレン先生は主日に教会に行かれることはなかった。 ある時、強引に礼拝に誘ってみたが、地元の教会の礼拝にしか行けない、 その先生の説教は「おつとめ説教」であった。 帰り、レストランで食事をしたが、このごちそうはその先生が料金を払ってほしいと 冗談を言われていたそうです。 それほど説教に絶望していたそうです。 「われわれは更に、聞くことの、説教を聞くことの困難さを軽視している。  まるで説教を聞くことの方が説教することよりも容易で、  危険も少ないかのごとくである!聞くということは冒険ではなく、  焼きつくす炎である神と関われるのは語り手だけのようである。  聞くことも直滑降であり、聞き手もまたその傾斜を知らず、隠された深淵に気づかないのである。  ここでもわれわれは、転び、ひっくり返り、脊椎をいためることがありうる。…」 このボーレン先生の言葉に様々な議論が交わされました。 スキーの直滑降というのはメタファーであるからそのまま、意味を取る方が良いとのことです。 加藤先生は「神の可能性」という言葉を使われ、 この可能性を次に学ぶ項目「奇跡」につながることを示唆されました。 ここで、19:50から20:00ちょうどまで休憩に入りました。 休憩中に、説教に絶望していたボーレン先生と言いながら、 お勧めする説教者いたのですか、という質問に 加藤先生はブルームハルトを挙げて、ボーレン先生との議論の前には ブルームハルトが議論の導き手としていたことを思い出されました。 彼は「霊的なファザー」であったと言います。 後半は「美しい説教」についての議論です。 日本では、「先生の説教は美しい説教でした」とは言い難いが、 ドイツやアメリカの「美しい」は日本語よりも深さがある。 学生説教塾では、B・テーラーを引き合いに出され、 その姿かたちにまで美しさに言及された。 神がそこにおられるという美学的な美しさは、 神が臨在されることの証しとなる。 教師試験準備中の学生説教のことも話題になりましたが、 加藤先生は、「説教が下手でいいことはない、(どんな説教か分からないが)、 テキストを開示した、という意味で取り上げたのでしょう。」と言われていました。 また、シュニ―ヴィントのエピソードも、彼が旧東ドイツの真面目な神学者として、 苦しんだことをしっておられるので、その悩みを理解しないというのは、 ルターのお膝元で考えられない、時代は変わっていく、 という意味で非常に印象邸であったようです。 (私的感想) 本日は、説教が聞く人の冒険になるように語る、ということが印象的でした。 そのためには説教者も冒険しなくてはならない。 それは、テキストがあってのことです。 難しいが、チャレンジを続けなけれなならないでしょう。 そして次の言葉は、詩人としてのボーレン先生を思い起こす箇所でした。 「わたしは、ふるさとへ帰る歌を歌いはじめ、失われた人々と共に  喜ぶことを始める説教を待っている。  わたしに生きることを教えてくれる説教を待っているのである。」 最後の感想とお祈りを戸村甚栄先生にお願いしました。 明日は(もう、本日10/26ですが)、 かぶとむしセミナー(14:00から)とつねちゃんねる(20:00から)が行われることが予告されました。 次週11/1は「読書会B 加藤常昭著愛の手紙・説教」、同じ時間18:30からです。 「読書会A」は11/8です。 最後に加藤先生から、日曜日に送られた「第二黙想」は (セミナー参加者は)必ず読むようにとのことでした。 報告は以上です。 楠原先生、渡邉先生、ありがとうございました。                                                               「読書会A」世話人 中井利洋