Subject: [sekkyoujuku:009860] 9/27読書会Aの報告 From: Date: 2021/09/28 9:48 To: sekkyoujuku@sekkyou.com 説教塾のみなさま 主のためのお働き、祝福されますように! 江古田教会の中井です。 昨日、18:30〜21:00に行われた2回目の「読書会A」の報告をします。 私が認識する最大の参加数は26名でした。 少し前にZoomの招待mailをお送りしたせいか、 mailを見失われた加藤先生の参加が少々遅れるというハプニングがありました。 Zoomホストの渡邉先生によると、もう少し会の直前に招待mailを お送りするとのこと、ぜひとも次回10/11(月・休)の際はご参加ください。 開会祈祷は、東野ひかり先生にお願いしました。 当日、楠原博行先生が2回目のための素敵なレジュメを作成して下さり、 そのレジュメに基づいてR・ボーレン先生の「説教学」を読み進めてまいりました。 以後は、私自身の感想も含めた印象記であります。 前回、最後に加藤先生の郷家先生に投げかけた問いは、 説教塾の塾生に投げかけられた問いでもありました。 「一つだけ質問。郷家さん情熱あるでしょ、説教に。情熱ない?」 ボーレン先生の「説教学」の第1章の出だしは、 かつての説教学にはない心惹かれるものであった。 その具体的な事柄から始まることにつまづきを覚えるひともいる。 しかし、多くの人には新鮮なものであった。 「わたしの趣味とするところを…説教することと同列にすることを  したのは思慮あることである。結局、説教は、木をきることとは違って、  休みの日の仕事、日曜日の仕事なのである。それは喜びを作るべきなのである(本文)。」 このことから「休みの日」と「日曜日」の仕事ということについて疑問が出され、 加藤先生は、ドイツやフランスの人々が、いかに「休みの日(休暇・余暇)」を 大事にするかを教えていいただいた。 ある人は「休暇のために働いている」そうだ。 「遊びとは、ここでは、中途半端ではなくて、情熱的な喜びをもって、  それに参与しているということであって、事柄の真剣さを疑うことではない。  ただ、われわれが人間であって、神ではないことを承知しているのである(本文)。」 その後、「説教するということは、言葉による聖なる遊戯である。」 「説教における喜びに不可欠なのは冒険である(本文)」というテーマに議論は移っていく。 「説教者が聖書に耳を傾けながら、キリストご自身を聞きとるとすれば、  その時、彼は満ちあふれる喜びに入るであろう(本文)。」 このことは、かたつむりセミナー、かぶとむしセミナーの第1黙想で、 加藤先生がいつもおっしゃっていた言葉ではないか、という意見がありました。 その後、説教者は、「火消しでなく、日つけ役であるべきである。 花火職人ではなく、火を投ずるためにやって来た放火者なのである(本文)。」 この過激な発言に議論が集中しました。 加藤先生によれば、当時ボーレン先生の論文に日に関するものがあったそうです。 最後に本文では「情熱を込めて」「情熱」という(ドイツ語では)、苦しむことに 関りがあるという逆説について、項目を終えている。 昨夜の読書会Aもそこで終わっているので、 次回は「情熱をこめて喜んで」というテーマにより踏み込んでいくことでしょう。 是非次回も参加していただきたい。 詳細は録音で。 最後の短い感想と閉会のいのりは、工藤進先生に担当していただきました。 遅くまで指導してくださった加藤常昭先生、 レジュメを担当してくださった楠原先生、 Zoomホストを引き受けてくださった渡邉先生、ありがとうございました。